2024/07/31
aquarium (YuRaKu)
トリアイナ・ワークスとして監督・3DCGアニメーション・コンポジットを担当。
「自由と不自由のパラドックス」を主題に超現実的な幻想世界を構築。
水槽・花畑・海岸へと変容する空間と色彩が主人公の内面的推移を映し出す。
現代社会における「見られる自己」という実存的テーマを、映画的な視覚言語で昇華した内省的なミュージックビデオ。
Description
YuRaKu氏「Aquarium」のMVを監督した。本作は3DCGアニメーション作品。
音楽面では、YuRaKu氏の繊細な感性が際立っている。氏は自身と世界との接続を常に意識し、日常的な悩みや人間関係の機微をリリックに昇華させている。
楽曲の構造は、水中にいるような浮遊感を感じさせるサウンドスケープから始まり、徐々に広がりを展開する。
これは視覚的な空間の変化と呼応し、聴覚と視覚の相乗効果を生み出している。
リリックの核心には「自由」と「不自由」のパラドックスというテーマが設定されている。
氏の音楽は、この主題を独特のリズムと旋律で表現し、現代社会における個人と集団の関係性、自己実現と社会的制約の狭間で揺れ動く人間の姿を表現している。
特に「moving」という歌詞表現は狭い世界の中でもがき続ける主人公の姿を音楽的に表現し、変化を求めながらも急激な変化を恐れるかの様な人間描写を行っている。
映像の視覚的表現とルックデブにおいては、音楽の展開に合わせて色彩と空間の変化を通じて主人公の心理的推移を表現した。冷たい青い光の水槽から始まり、暖かみのある花畑の色調を経て、深い海の青へと移行する過程は、YuRaKu氏の音楽の情感の変化と同期している。これらの色彩設計と演出の展開により、主人公の内面世界の変遷を視覚的かつ聴覚的に伝達する役割を果たしている。
所々にて使用した実写のフッテージは、学校周辺で撮影したものであり、実世界との接点を意識しつつ「超現実体験」として意義を込めた。加えて水の質感を出すために、水彩画で独自のテクスチャを作るといったアナログとデジタルの往々も行っている。
空間の広がりと狭まりの対比も、音楽の構造と呼応している。
狭い水槽から広大な花畑、そして無限に広がる海へと展開する“空間”は、楽曲の音の広がりと重なり、主人公の心理的解放と不安の増大を同時に表現している。
この”空間“と音楽の変化は、自己の内面世界と外部世界との関係性の変化をシンボライズした。
水族館の水槽は主人公が自ら自分を隔てている壁であり、しかし隔てているにもかかわらずガラスなので外からは誰でも見えるようになっている。
これは現代社会における不気味な可視化性を表現している。自らを沈めても、自らを社会から隔てようとしても、誰かには見える位置にいてしまう現代社会を戯画化した。
水槽のシーン後は突如、ルックが一変して花畑になる。この広大な風景は水槽とは違い「自由」の象徴として登場する。しかし人影も多数見えて、何かを話している。
会話の内容は不明だが、主人公はそうして海岸へと舞台は移る。ここでは花畑のような人影は見えない「完全な自由」として描いた。
完全な自由というものは逆説的に捉えると、無限の選択肢に直面する事になる。その意味において「完全の自由」は存在せず、常の縛っているのは環境要因に限定されず自分自身である。
自由を「何からも縛られない」と定義した場合、現実では存在しないと言わざる得ない。海岸のシーンで描いた「完全な自由」は本来辿り着けない域である。
何からも縛られないというのは物理的生物的な範疇をも超えて何からも縛られないという事になるから、(生物的な意味をも含めて)人である束縛からも解脱する事になる。
我々は人以外になる術は無い。人生を生きる事は、人であるという事に一生縛られるという事になる。
主人公は自由の果てを見て、不自由である事を選んだ。最後に主人公は「水槽」の方へと引き返す。
CREDIT
- Dir / Motion / Camera / Composite
- Kanno KOTARO(トリアイナ・ワークス)
- CG Design
- Urano SHINYA(トリアイナ・ワークス)











